瀋陽は有名な歴史文化都市です。昔の瀋水(今渾河)の北にあるのでこう名付けられました(水の北にあるのは陽といわれる)。ここは遼河流域早期の文化が誕生した中華民族の発祥地の一つです。3万年前、瀋陽ではすでに人類が生活していました。新楽遺跡によると7200年以上前の新石器時代には母系氏族社会の庶民が早くもここで生活していました。春秋戦国時代、燕国がここで方城を建ててからすでに2600年の歴史があります。宋遼時代、遼太祖は公元921年、ここに移住し、城を建てて瀋州と呼びました。後金代を経て、元朝元成宗元貞二年(1296年)瀋州を瀋陽路に変え、「瀋陽」という名前が正式に誕生しました。1625年、清太祖ヌルハチが後金をつくり、ここに遷都して「盛京」と呼びました。1636年、ホンタイジ(皇太極)は国号を「清」とし、清朝を創立しました。1644年、北京に遷都した後、盛京が副都になりました。清初の皇居――瀋陽故宮は中国に現存する皇居建築群のなかでも最もよい状態で保存されています。
中華民国元年、瀋陽は奉天省遼瀋道に属し、奉系軍閥に統治されていた首都でした。1931年、日本の占領下になり「瀋陽市」が「奉天市」に変えられました 。1945年、第二次大戦後、東北部が中国に返還され「瀋陽市」の名前に戻りました。1946年には国民党政府が瀋陽市を管理していました。新中国成立後、何度も行政調整が行われ現在の9区1市3県の行政構成になりました。
瀋陽は新中国成立初期に国家重点地として装備製造業を主にした重要な重工業基地の一つです。数十年の発展につれて工業業種が142に達し、大中規模の工業企業が4500ぐらいあります。近年、改革開放と工業発展促進によって自動車と部品産業、装備製造業、化学医薬などの産業は一定の規模になり、インフラ建設も加速し、瀋陽の経済と社会環境が大きく発展しました。「国家環境保護模範都市」、「国家森林都市」、「国家園林都市」などと賞賛されています。
沈陽、ハルピン、五大連池観光、満洲里から~ホロンバイル草原を駈ける~(6泊7日)
瀋陽, ハルビン, 五大連池, 満州里, ホロンバイル, ハイラル, 北京
ハルピンから内モンゴル自治区の満洲里まで、列車で移動、車窓からは、大草原が見られ、中国大陸の大きさを実感していただきます。
沈陽、ハルピン、五大連池東北三都市とホロンバイル草原を駆ける(5泊6日)
瀋陽, ハルビン, 五大連池, ハイラル, ホロンバイル, 北京
ロシアのブラゴベシチェンスク市と隣り合っていて、溶岩で川がふさがってできた火山湖「五大連池」観光!