五大道は天津の中心にあり、東側、西側には中国の南西名城――成都、重慶、常徳、大理、睦南及び馬場と名づけられた五本の街道があるため、天津人が五大道と呼んでいます。
実際、五大道は公式な名前ではなく、幅広く伝わっていた通称名です。五大道は和平自治区体育館の通りに位置して、地域範囲は馬場通り北側、成都通り南側、西康路の東方向に、馬場道和南京道交口の西側の一帯です。しかし、もともとはイギリスの租界にありました。この場所は有名で一番の特徴は、異なる欧風の建物が並んでいるところです。ここには英、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなどの国の独特な建物が230棟あり、有名人の家50棟余り集まっているので、万国建築博覧会場にもなりました。
五大道地域には三つの特徴があります。一つは、一戸建ての住宅が多く、横道が少ない上に、有名人の家が番地で区別され、改名されることなく、標識もないことです。一つは道が全部「里」と通称され、「胡同(路地)」が無くなりました。もう一つには、「大楼」、「別荘」、「村」、「坊」などのアパートの表示を使用する建物として、例として 香港大楼、馬場別荘、剣橋大楼、安楽村、育分坊などが現れました。
馬場道は五大道地域で最初に作られた最も幅広い長い道路です。19世紀末、イギリスの商人が佟楼「養牲園」のあたりに別荘と競馬場を建設しました。以降、馬場の東にイギリス租界の墻子河につながる馬場道を作りました。この道は長さ3.2キロメートル、幅20メートルで、花壇がありません。馬場道121号は本来、イギリスに在住していた学者達や文学者が居住するようになって、達文士楼と呼ばれるようになりました。この典型的なスペイン風の別荘は五大道の最も古い建物です。旧北疆博物院と工商学院も馬場道に位置しています。北疆博物院は中国の最も古い博物館の一つで、1922年に作られました。この建物は平面的に見れば「工」と言う字の形をしていて。ローマ風の建物の特徴を持っています。工商学院は1925年に建てられ、本館は三階ビルで地下室も備えられています。大きな茸の石壁、マンセル式(色彩を色の三属性 色相 、明度 、彩度によって表現する)な天井、円形な鐘が飾られていて、フランス風ロマン式建築スタイルを呈しています。
五大道には二つの中国風と西洋風が混在した公館があります。一つは大理道3号、5号の蔡成勛の旧居です。3号はメインビルで、フランスのロマン風な外装で、内装は中国風の木彫りが飾られています。5号は中国風の四合院で、垂花門、屏風、煉瓦、木、石の彫刻のすべてが貴重で歴史的な文化装飾品です。もう一カ所は、重慶道55号の慶王府です。ここは清朝慶親王載振の公館で、メインビルは二階建ての四合院から作られました。西洋風の外装、中国風の中庭と内装が施されていて、最上階の部屋は祖先堂です。庭園内の東には中国風の花園が作られていて、園内には築山、洞と六角亭があります。
五大道の軍政要人公館には曹錕、徐世昌、顧維鈞の旧住居があります。文化と医学界の有名人、厳修、方先之、範権の家屋などもあります。これらの建物は現在まで保存されています。