鼓楼は昔の天津の「三つの宝物」のひとつで、古市街の中心に位置しています。広く名声が知れわたる広東会館と隣り合っています。周りはとても有名な古文化街、天後宮、呂祖堂などの観光地で互いに引き立て合い、地方文化の絶妙な雰囲気を醸し出しています。天津市はこの鼓楼を中心として、周囲に広がり発展してきたので、鼓楼が天津市の源と認められています。
「鼓楼」と呼ばれますが、実は「鐘楼」です。最初建てられたのは明代の弘治六年(公元1493年)でした。鼓楼は三階建てで、基部は城のように方形の台座がレンガで積み上げられました。四方にはアーチ形の出入り口があり、「四方は平安で穏やかだ」という意味で、それぞれ「鎮東」、「安西」、「定南」、「拱北」と名付けられ、東西南北四つの城門とうまく合っています。
上部は木造の入母屋造りの楼閣で、二階建てです。一階は観音様、天後聖母や関羽(三国時代の名将で、後世、武神、商神として祭られている)、岳飛(南宋の名将)などの彫像が祭られています。二階は大きい鐘が架けてあり、直径が1.4メートル、高さが2.3メートル、重さがおよそ1500キロで、唐宋制式で鉄で鋳造され、天津市の「鐘王」だと誉められています。この鐘は造りがとてもていねいで、造型が素朴で古風です。最初は時刻を知らせる道具として、朝晩共に108音を打っていました。
清代光绪年間、八国聯軍が天津に侵入し、鼓楼はその戦乱のせいで崩れ落ちました。民国期に再建されて、屋根の棟木が緑の素焼きで覆われ、面目を一新しました。1952年11月、天津市の発展につれて、交通量が多くなり、道路を通すために、撤去されました。2001年9月28日、鼓楼の再建工事が完成しました。再建された鼓楼は体積も重量も増えて、建築面積が1984.68平方メートル、広場総面積が6561平方メートル、デザインが巧みで、彫刻が真に迫り、彩色画が精緻で、現代の技術と伝統建築との完璧な結合と認められています。
現在の鼓楼は、天津市危ない建物の改造展、天津住宅の発展史など、さまざまな展覧会を行っています。金、元、明、清、近代、解放前など、いくつもの時代の天津の変遷や歴史だけではなく、天津の姿と名人名家を展示しています。鼓楼及び周囲の商業街はおもしろい風景区として、新しい観光景勝地になってきました。